さらば
お風呂でふと考えていたことを書き上げてみます。
教えるというコミュニケーションについて。
(本当はこれをタイトルにしようとしたんだけど、なんか啓発系の記事っぽく見えそうで嫌だったので変えました)
あくまで持論ですが……
頭の良い人や理系の人の特徴として、説明は端的に、ロジカルに済ませたいという気風があるように思うのですね。
これはつまりどういうことかというと
Aってなんですか?(What is A?)
という質問に対し、それをよく分かっている人に限って"分解"しがちなのです。
上記の質問に対し、答えようとする人の頭の中には
A ーー B ーーC
|
ーB'ーーD
みたく、知識の継承関係が形成されていき……Aが何であるかを答えるためには、Bが必要、ないしB'が必要、そしてそれぞれの理解のためにはCやD……と、自然にプロセスが組まれていくわけです。
Aってなんですか?(What is A?)
を
Aってなんですか?(Where does A come from?)
と捉えがち。
これは頭が良い人のものとは一概には言えないかもしれません。どっちかっていうと理系の人です(と書くと荒れそうなので明言を避けたいですが)
多分例を出すとわかりやすくてですね……
こういう傾向のある人は、何かを聞かれた時相手に対して『Bってわかります?』と返しがちです。
相手が吉良吉影だったら殺されてますね。
自然と問題を細分化する人ほど、"相手の理解度"を測ろうとします。知識の段階を見ることで、相手にとって最適な説明の手順を考えようとするからです。
そしてもう一つ理由があって、これは前述の端的に説明したいってとこからきています。
Aという要素を構成するBとB'。仮に相手がBのことは知っている、という状況なら説明はB'に関するものだけで事足りるからその方が良い、みたいな感じです。
で、結局何が言いたいかと言うとですね。
この『わかります?』に対して、答えられる人と答えられない人がいるんですね。
この世には二種類の人間がいてですね。
それは岸辺露伴のように『NO』と断れる人間と、そうじゃない人間です。
こういう風に聞かれちゃうと(場合によっては不意に語気が強くなっちゃったりして)、なかなか分かりませんとか知らないですと言い辛くなってしまう人がいるんですねー。
まあ中には本当にそういうことを言わせてマウントを取りたがるカスみたいな人間もいますけどね。前の職場にいたし
それは置いといて……
さらにそういう人達の問題っていうのは、そこが答えられないと次には進めないみたいな、そういう後ろ向きな思考を持ってしまうんですよね。まあこれは極端な言い方ですが。
こっちの質問に対して、前提知識を問われる……それはもう、そこまできてから言えよ的な、そういうネガティブな捉え方をして段々と何も言えなくなっちゃうタイプの人が結構いるわけです。
んで逆に、この質問に返してる側はこう見えてかなりポジティブなんですね。だって、きちんと段階を踏んで教えることが正しいと思っていますから。教える気がなかったらもっと適当なことを言うでしょう。
それでいて必要なことだけを伝えるために(厳密にはそうしたがる性質)、相手にヒアリングします。これは頭良い人っていうか、教えるのが上手い人の性質ですね本来は。
ただ見ての通りここではポジティブとネガティブが見事にぶつかっているのです。
つまり結果はBOOMですね
どちらかがどちらかのことを嫌いになります。
さて……
ここまでの話は、別に改善すべきって言ってるわけじゃなくてですね。認識するかどうかの差だと思うのですね。
僕は教えるのが上手い人っていうのは、上記のような問題を切り分けるロジカルな思考、相手の理解度を確かめる姿勢っていうのは必須条件だと思っています。が。
もう一つは相手の性質を理解することだと思うのですね。
端的に言ってポジティブなのかネガティブなのかそれだけでも変わります。
あとは、段階的思考を理解しているかどうか。
こっちの『わかります?』の意図が理解出来てない相手にそれ言っても、嫌われるだけということです。
ただ、What is A?って質問しか出来ない人にも問題がある。問題を切り分けたり、知識を付随させるような考え方っていうのは誰にとっても必要なものだと思います。何を勉強するにしてもね。
という感じで、人が人に何かを教える(とりわけ学習や業務といった観点で)ことについて、そのコミュニケーションについて自分なりに考えてみました。
なんでこんな記事かいたかっていうと、
研修中にこういう話をしてあげていた同期が会社やめたからです。
皆もこんな説教してくる奴が同期にいたらうるせえ死ね!って言って会社やめようぜ!アディオス!!
kyc